Sakuradani Mine <桜谷鉱山>
Update:2003.4.19

桜谷(さくらだに)鉱山は、大阪府豊能郡豊能町内にあった銅鉱山である。明治・大正期に「銀・銅・亜鉛鉱山」として栄えたが、やがて衰退し、休山状態が続いた。ところが第二次世界大戦によって鉱山景気が起こり、この桜谷鉱山も再開発されたという。現在は、町立の中学校の敷地になり、昔を偲ぶものはなにも残っていない。しかし、現在ベッドタウンとして賑わっているこの大地の地下には、幾筋もの坑道が眠っているといわれている。

吉川中学グラウンド 現在の吉川中学校。ここが旧桜谷鉱山であったという。
 

多田源氏のドル箱、時代の脚光に躍り出す、豊能吉川村の廃坑付近から銅【大阪朝日新聞1938年10月14日付】
戦時中再開発された坑口付近 戦時中再開発された桜谷鉱山

『豊能町史』には「鉱山の再開発と消滅」と題して以下のような記述が見られる。

・・・
1920年(大正九)以降、大阪府下では鉱山の採掘は全くみられなかったが、日中戦争開始後金属の価格が高騰するとともに、ふたたぴ鉱山採掘の動きがあらわれ、1939年(昭和一四)からは『大阪府統計書』に鉱石販売価格が一万円程あらわれる。吉川村の桜谷鉱山が再開発されたのは1938年である。 桜谷鉱山は、所在地吉川村、鉱種は銀・銅・亜鉛、坪数28,900坪、1930年(昭和五)に採掘許可を受けている。 これを新間は「多田源氏のドル箱、時代の脚光に躍り出す、豊能吉川村の廃坑付近から銅」というセンセーショナルな見出しをつけてつぎのように報じた。

カナモノ珍重時代の当今、北摂山間部の旧坑を掘り出したら金銀ザクザク(?)とはゆかないが昔ながらの良質の鋼がどんどん産出ざれてゐるといふ耳よりな朗話がある、豊能郡吉川村桜谷拡山がそれ(中略)薪炭山が再び鉱山として世に出で大阪西区幸町のある商事会社の手でこのほどから新坑も一本掘り抜いて盛んに採鉱してゐる。阪大工学部の前身大阪商工の教授だった池田角太郎氏の指導でその教子の広田分析主任をはしめ二十数名の村民が国策線に沿う意義ある仕事と懸命に奮闘してゐるわけだが、数日前初荷約十トンの銅鉱を三菱の岡山県宇野港外直島精錬所へ送った、含有量は大体13バ−セント以上と予想されてゐる
(『大阪朝日新聞』1938年10月14日)


■周辺地図
周辺地図

参考文献:「豊能町史」、「吉川地区の自然と文化財」(近藤 徹著)


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