Hanaori Mine <花織鉱山>

1999.-9.19更新


大阪府豊能郡豊能町内にあった、銀・銅鉱山である。
豊能付近では最大の規模をもつ鉱山で、大阪府誌にもその名を見ることができる。最盛期には、坑夫40名を含む160人の従業員を擁したという。
以下に、大阪府誌「鉱業誌」から花織鉱山の章を抜粋してみよう。(新漢字・仮名遣いに改めた)

花織鉱山
 摂津国豊能郡吉川村字保原にあり27,781坪にして第2224号特許に属し、発見時代は詳らかならざれども安永年中は採採のはなはだ隆盛なりしこと古簿に見えたり。その後一たび休止し明治8年に至り橋本善太郎外一名借区開坑の許可を得てニたび採採に従事し、同11年に至り故ありて大阪の市人杉村正太郎に譲り当時は一時大いに盛況を極めてニヶ年間に荒銅2万貫を掘採せしが、坑夫四十人、手子ニ十人、吹工ニ十人、水引夫十人、撰鉱七十人を使役しその経費また二万円を要して収支相償わざりしかば再びこれを橋本喜太郎等に譲れリ。然れども同29年地方洪水に際して諸般の設備すべて流亡し、爾来復旧の工事を施ししが他鉱山と共にいまだ容易に完からず、現今なお休業同様の状態なり。
 池田を距る2里20町、牛馬車人力車を通じて運輸便に、器械、器具、食物及び日用品等の供給は之れを大阪市及び池田町に仰ぎてまた乏しからず。且つ鉱区内及び隣山の渓間より流出する清泉は、より用水に適し甚だしく不便を感ずることなく、本店は兵庫県川辺郡東谷村下財屋敷に在れども事務所を鉱区内に置き支配人1名(俸給8円)を置きて諸事を監せしむ。』
 

花織鉱山跡  坑口付近??
現在の、国道423号線沿い、光風台入口付近が花織鉱山跡。

■周辺地図

参考文献:「大阪府誌」、「豊能町史」、「吉川地区の自然と文化財」(近藤 徹著)


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