多田銀山は、古くは戦国時代から金・銀・銅等の鉱石を産する山として栄えたと伝えられる。
豊臣秀吉の「隠し金」でも有名で、どこかの間歩(坑道)の奥深く埋蔵金が眠っていると信じている人も少なくないという。
幕府の直轄領として「代官所」が置かれ、厳重な管理・警備体制が敷かれていた。そのような状態で、坑夫には過酷な労働が強いられたのである。
多田銀山は、近年(昭和48年頃)まで日本鉱業の手で採掘が行なわれていた。
産出鉱物は、黄銅鉱・閃亜鉛鉱・輝銀鉱・青鉛鉱等であり、銀・銅・鉛を生産していたと思われる。
閉山後は荒れ放題となっていたが、最近になって「史跡公園」として整備されつつある。
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◇史跡−多田銀山の案内掲示板_◇相当数の間歩(坑道)が点在する
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◇大阪方面から多田銀山へ向かう道は「銀山街道」と呼ばれ、賑わったという。
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◇日本鉱業の採掘現場跡_____________◇台所間歩(秀吉の頃掘削された坑道)